イメージを言えば、あわ~い、とことんあわ~くはかないタッチの少女の絵。
単純に、興味がない、とたかをくくっていた私.。
作品を理解しようとも思わなかったし、作者である彼女のことを知ろうともしていなかった。
人間である以上、芸術を作り出す以上、そこに込める想いや作風には、興味がないとたかをくくってはもったいなさ過ぎる何かがあるはずなのに。
いわさきちひろさんのこと、すこーし知って、そう反省。
いわさきちひろさんの絵のイメージからして、
きっとちひろさんは、品が良くて幸せいっぱいの方だったんだろうなと思い込みを持っていた。
けど。
所詮、人間に、幸せがいっぱいだけの人間なんていないか。
彼女は20歳の時、親に無理に勧められた夫といやいや満州に渡り、夫を好きになれないままの形だけの結婚の結果、そのショックで夫は自殺。 帰国後実家は東京大空襲により全焼。
自分を責めつつ、大きなものを失いもするが、絵の志は失うことなく27歳の時に画家として生きていくことを決意。
その後生涯の伴侶と出会い、一人息子を出産し、55歳の若さで肝臓がんでこの世を去る。
と、あまりにも大雑把だが、彼女の経験はあまりにも私には衝撃的だった。
どんな理由であれ一人の人間を自殺に追いやってしまった計り知れない自己嫌悪。
持ち家持ち物すべてを失い茫然自失にもなっただろう。
そこから"生きていく"ために這い上がったちひろさん。
彼女は、「鉄を真綿でくるんだような人」と評されるそうだが、散々痛みを味わい這い上がる努力をしたが故に鉄の如く強くもなり、人生の痛みを知っているが故に真綿のように人に優しくもあるのだと、思った。
旦那様の松本義明さん、息子の松本猛さん、お孫さんの松本春野さんが選んだ、一番好きな絵が、MOE2012年9月号に載っていた。
戦火の中で、怒りと悔しさに顔を歪ませている母に抱かれた坊やは、安心しきった顔。子供を守ろうとする母としての仕事と、深い命がけの愛と、罪のない人々を巻き込む戦争への怒りを、私は感じずにはいられない。
「この絵が核心なのだと思う」と旦那様は仰っている。
様々なテクニックが練りこまれているそうだ。画用紙の白を残しながら描いたり、にじませて白波を表現したり。そして季節感、匂い、音、手触りまでもを感じさせる表現がこの1枚に見られるのだそうだ。
大概の絵に登場する女の子は自分とはかけ離れた世界に住む子だと幼心に感じていたが、この女の子を見たときに、親近感を覚えたそう。
我が家のGoed画伯にもクレヨンを持たせてみた。
描くというより、こすってるだけのようだ。
でも母は、うれしい♪
たとえ最後は投げちらかしたとしても・・・。
近いうちにまずは練馬のちひろ美術館、そして安曇野の美術館へ行ってみたいものだ。
最後の最後にウィキペディアがおもしろいことを教えてくれている。
ちひろさんは、息子さんをやむなく安曇野の両親の元へ預けていた時、母乳が途切れないようにと近所の乳飲み子にに授乳をしていたという。その男の子が、三宅裕司!!
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