『火花』、読んだ。
著者は、言わずと知れた、又吉直樹。
今年の7月に芥川賞を取った、あの作品。
図書館に予約を入れようとしたら、あれよあれよと4000人待ち。
(2015年12月15日現在、3603人待ち)
蔵書は98冊あるようだけど、こりゃこりゃ、いつになるやら。
買ってまでは読まないという人が多い、世知辛い世の中でございます。
夏、Blendyボトルにオリジナルエッセイが付いてくるというから、アイスコーヒー消費の早い我が家は、9作分ガッツリ購入、まずはこちらで満足。
あぁ、又吉の文章って、こんなにも魅力的なんだ、火花への期待は膨らむばかり。
冬になった。
opaが、持ってた。
貸してくれた。
引き込まれた。
日本語が美しい。
そして、弱者の気持ちの模写、心地よい程に共感。
言葉にならないと思ってた切ない気持ち、又吉が見事に言葉にしてくれる。
読んでて気持ちいいったら。
―――僕は永遠に誰にもおもねることのできない人間で、神谷さんは、おもねる器量はあるが、それを選択しない人だったのだ。―――僕はただ不器用なだけで、その不器用さえも売り物に出来ない程の単なる不器用に過ぎなかった。―――
――― 一切ぶれずに自分のスタイルを全うする神谷さんを見ていると、ずいぶんと自分が軽い人間のように思えてくることがあった。―――
―――上座の作家や舞監や山下を相手に後輩たちは健気に立ち回り、場は盛り上がっている。自分の存在が水を差さないかと怖かった。笑顔を貼りつけたまま上座に辿り着いた僕には誰も気づかない。僕は全ての輪から放り出され、座席でも通路でもない、名称のついていない場所で一人立ち尽くしていた。僕は何なのだろう。―――
―――世界の景色が一変することを体感してほしいのだ、自分が考えたことで誰も笑わない恐怖を、自分で考えたことで誰かが笑う喜びを経験してほしいのだ。―――臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ。―――
書かれていた、下積み時代の、お笑い芸人の意地とプライドと苦難と不安と葛藤は、決してお笑い芸人に留まることなく、私のしがない人生にも、当てはまっていた。
こんなにも、心の奥底を言葉に起こしてくれる又吉の文才で、是非、お笑い芸人として全うしてほしい。
又吉は、お笑い芸人だ!!
火花を読み終わって一番最初に見た芸人は、お昼の番組でのブラマヨだった。
おもしろいなぁ、ブラマヨ。
次から次へと出てくる面白トークは天性のものだろうけど、まんま出せる度胸や、絶妙な間ってものは、培ってきたものであり、常識を覆すことに全力で挑んで来たからなんだろうな、なーんて、思いながら、ギャハハ笑ったお迎え前のひととき。
お笑い芸人さん達、ありがとう。
敵いませんわ。
人を笑わせることに全力でいてくれて、ありがとう。
お正月の溢れんばかりのお笑い番組、我が家も全力で、観る所存。
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