2016年7月15日金曜日

Stereotypes, Prejudice and Bias

7月11日、気が付けば夏はすぐそこ。
この日、4月から始めた英語講座の前期が終了。
最後の授業で、"Stereotypes and  prejudice"について学んだ。
更にそのテーマの中で、"Bias"という単語が、よく出てきた。

Stereotypeっていうのは、私の解釈で説明すると、メディアや噂によって伝えられたことを、一定の側面からしか判断せずに、鵜呑みにして持つ印象のこと。
つまり、ステレオタイプでいると、偏見を持ちやすく、すぐにレッテルを貼ってしまったり、偏見を払拭するまでは先入観という邪魔な眼鏡をかけることになる。

Prejudiceは、ネガティブな表現で、人種、性別、宗教、国などに絡む強い偏見だったり、悪い噂、根拠のない先入観。
○○教はみんな過激だ、△△人はマナーが悪いとか、一括りにしてへりくだって見たり、ひとつの側面だけどを見て噂する、その手の類。

Biasは、日本語でも「バイアスをかける」「バイアスが効く」とかの使い方があるみたいだね、私は、使ったことないけど。
私にとってバイアスって、バイアステープのイメージ。
縁取りをしたり端を補強する、テープのような長細い布。
でも本来バイアステープは、ほつれにくく45度の角度で生地が裁断されているんだって。
この45度と言う斜め感が、本来のbiasという意味!!
斜めに傾く様子、つまり、偏見という意味で使われるそう、ネガティブな場合だけでなく、文学に傾倒しているって言いたい時なんか、このbiasでいいみたい。
過去の経験や好みなどからの思いこみによって、どちらかに偏ったり、どちらか寄りの意見になること。


不特定多数で新しい人間関係が始まると、いいこともあれば悪いこともある。
同時に、噂とか偏見とかというものが必ず付きまとうのは、世の連れ。

私は、多分何か失敗した経験があるのか、痛い思いをしたのか、記憶が出てこないんだけど、自分の柱となっていることの中に、「先入観を持たない」ってポリシーが、うっすらあると自負してる。
でもね、持っちゃう、持っちゃうよ、そりゃ、私、できた人間じゃないから。
でも、自分の先入観に蓋をするようにとか、周囲にバラ撒いたりしない努力は、してるつもり。
授業を聞きながら、そんな風に自分を振り返ってた。


家に帰って来てからも、Stereotypes, Prejudice and Bias、気になってた。
で、こんなことも、振り返ってた。

オランダでソフトボールチームに入部した当初、苦手なチームメイトがいた。
歳は同じくらい、チームの主砲、カリブ海にあるオランダ領キュラサオの出身、大柄で褐色の肌、どっしりしていて陽気な人なんだけど、なにしろオランダ語をまくしたてるので、何を言ってるのかわからない。
自分が彼女やチームメイト達から嫌われているとは思っていなかったけど、言葉も通じずノリも合わない外国人の私が、お荷物になってないか一方的に不安に思っていた時期だったので、特に彼女からツマンナイ奴に思われてるかもと特に近寄れないでいた。

だからこそ、彼女に飛び込んだ。
「オランダ語でソフトボールの用語や言い回しを教えて!!」
「私の悩みを聞いて!!」
彼女は、即答。
「うちに来なよ」

それからは急激に話すようになり、馬が合うこともわかっていった。
夜の練習の後は、毎度クラブハウスで飲んで帰った。
「akko、バカルディコークでしょ!!」
って。

そんな陽気な彼女でも、オランダの曇りがちな長い冬は、欝になるって、本気で言ってた。
本気だから、冬は、抗うつ剤を飲んでた。
実は彼女だけではなく、緯度の高いオランダでは冬が長く、御日様に当たることは難しく、子供の時から日光不足によるクル病予防にシロップやサプリメントを取り入れているという。
彼女だって精神病む位のナイープな人だった。

何が彼女への先入観だったのかと言うと、「私なんか相手にしてくれないかも」という被害妄想。
これこそが、Bias、なのかな。

初めっから絶対嫌いなタイプではなかったし、だとしたらしなかったけど、その先入観を克服したいからこそ、勇気を出して彼女の懐に飛び込んだんだ。
馬が合ったからこそ、彼女の母国語で話がしたいとオランダ語を躍起になって勉強した。
(同じ頃、サブコーチから、私のオランダ語上達が遅いと言われたことの方が大きな理由だけどね)
それはつまり、チームのみんなとも距離を縮めて行くことになった。

世界、広がった。


英語講座の先生がネイティブアメリカンの教えをひとつ教えてくれた。
"We should not judge another person until we have walked two moons in his moccasins."
(相手の立場に立って月が2回巡るまでは、相手のことを自分勝手に判断してはいけない)

共感、とても。


最後の授業で、先生が言いたかったことは、英語通訳ボランティアをする時は、偏見を持ってはいけない、相手の宗教や国民性などの文化に柔軟に対応できるように、ってことだった。


私は個人的に、そんなことを思う授業だった。
秋から後期が始まる。
地球に住む人間として、もっともっと成長したいなって、思った。

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