2014年9月12日金曜日

『たかたび』と『ハナミズキのみち』

キャンプに行く前日のこと。
ポストの中に、大きな郵便物が届いてた。

陸前高田のキャピタルホテル1000からだった。
6月に、Goedの誕生日旅行で宿泊させて頂いてから、3ヶ月以上が経過した8月12日のこと。

中に入っていたものは、なんと、『たかたび』。
『たかたび』とは、旅人の旅人による旅人のための、陸前高田ガイドブックで、企画・製作は、岩手大学の学生・教員有志からなる陸前高田応援チーム。

このガイドブック、キャピタルホテル1000に宿泊した際、夜ご飯のお店探しの参考にするのに、数時間お借りしたのだった。

震災後の復興のさなかのこの町で、商売や取組みを再開・開始している人達がたくさんいる。
そんな場所を、訪れて欲しいとの想いが詰まったガイドブック。



再び陸前高田を訪れた際や、陸前高田を旅したいと思う人が周りに出現したら、このガイドブックは必要だと思い、フリーマガジンだというこのガイドブックが欲しかった。
ホテルに尋ねてみると、残念ながら、当初各部屋に置いていたこのガイドブックはどんどんなくなってしまい、今はもうホテルの保存用しかないとのことだった。


残念。

それが。

3ヶ月以上も経っているのに、
当時私達がこのガイドブックを欲していたことを覚えていてくれて、
「在庫が届きましたので送付いたします」とのメモと共に、
『たかたび』を、
届けてくれたのだ。


本当に本当に感激なこと。


ホテルを去る時に、ロビーの書棚に置いてあった絵本が気になった。

『ハナミズキのみち』
浅沼ミキ子 作、黒井健 絵。

図書館で借りてじっくり読もうと、メモ代わりに写真を撮っておいた。













旅行から帰ってすぐに予約したものの、既に数人の予約があったので、私の手に廻ってくるのに3ヶ月を要し、キャンプから帰ってきた直後のこと。

なんという奇遇なのだろう。

絵本を借りたその足で、カフェに座り、読み始めた。


本を開く。
あっ、奇跡の一本杉。
ここ、行ったところだ。








ページを開く。
あの震災の前の風景。






あんなことが起こるとは夢にも思わず暮らしていた日々。
いつもの浜辺があり、昨日と変わらず、家族がいて、心から笑って、時にはケンカなんかもする。

ただいまと、帰るおうちがあって
ただいまと言う人と、おかえりと言う人がいた。





2011年3月11日。
地震と津波が、すべてを破壊し、すべてをのみこんだ。
「いつも」だったことは、いつもじゃなくなり、
「ただいま」という声も、聞こえない。






「ぼくはどこにいるんだろう
 うすもも色の花の中で、ねむっているのかな。
 おかあさんがぼくをさがしている。
 おかあさんの泣き声が聞こえる。
 もう泣かないで。
 楽しかったことを思い出してわらっていてね。
 ぼくは、ここから見ているから。」

作者の浅沼ミキ子さんには、タケルさんという25歳の息子さんがいた。
大船渡市職員をしていたタケルさんとは、震災直後、お互い避難中に偶然出会ったという。
「ご無事で何より」と声をかけたタケルさんは、再度避難誘導に向かい、それが最後の姿となったそうだ。
タケルさんは、震災から10日後に、見つかった。

浅沼さんは、眠れぬ日が続き、何度も呼吸困難になり、涙が止まらなかったという。
なんであの時一緒に逃げなかったのかとの後悔と共に。

ある時タケルさんが夢枕に立った。
「大好きな街をずっと守りたい。津波から逃れる避難路に沿って、ハナミズキを植えてほしい」
「見守っているから笑ってほしい」

海岸から高台に続く避難路をシンボルロードとして建設中の大船渡市。
浅沼さんのもとに仲間たちが集い、その沿道に、ハナミズキを植えてほしいと、市に掛けあっているところだという。



実は、カフェで私は、最後まで絵本を読むことはできなかった、涙があふれてしまい。
あの大震災で、きっとたくさんの、"たけるさん"と"浅沼さん"がいたはず。

浅沼さんの絵本を読んで、日々を愛おしく想いながら生活したいと思った。
キャピタルホテル1000の気遣いに、報いたいと思った。

強くて優しい人間でありたいと、思った。





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