ジャック&ベティ。
でも今回は、yseとRickyとね。
本当はGoedとふたりで映画デートのはずだったんだけど、タイミングよくyseから遊ぼうって連絡があって、逆お誘い。
OK快諾☺
観ようとしていた映画は、"うまれる ずっといっしょ。"
"うまれる"の第二章。
yseとは、第一章も一緒に観たんだよね、地元のお寺さんの自主上映会で。
いざ、ブルーラインで阪東橋へ。
1月14日。
今日の13時40分の回は、「ママさんタイム」。
赤ちゃんと一緒にご覧いただけますっていうお触れ。
それと同時に上映後、「トークショー」があり、監督の豪田トモさんと池上明さん(池上クリニック医院長)がやって来る。
なだけあって、3日前とは違った待ち合い室。
赤ちゃんがたくさん。
そして観客の多いこと。
Goed、このドキュメント映画で、「生まれる」ことと「死ぬ」ことを、なんとなく知ったかもしれない。
というのは映画の中で、おばあちゃんの告別式の場面があったり、赤ちゃんの出産シーンがある。
家に帰ってから彼が話す。
「おばあちゃん、しんじゃったんだよね」
「おばあちゃん、どこにいったの?」
「あかちゃん、うまれたね、かわいかったね」
この世には、死ぬ、生まれるっていう事象があるのだね、Goed。
生まれることも、死ぬことも、本人がすることだけど、本人には覚えがないこと。
それでいて、生き物ならば、誰もが人生たった一度だけの、最初と最後の大切な大切な人生儀礼。
生まれることも死ぬことも、人生で最初と最後の大舞台。
Goedにとって、そんなことを意識する最初の出来事が、この映画の鑑賞であったかもしれない。
私も確実に、死に向かって今もこうして、1秒1秒を生きている。
明日死んでも後悔しない生き方、できてるかな。
無事に生きて戻って来てねという意味を、「行ってらっしゃい」っていう言葉に込めて、言えてるかな。
さて、映画の中には3家族が登場する。
・最愛の妻を失った夫
・血の繋がりがない父と息子
・重篤な障害を持つ子を育てる夫婦
その家族の生活や想いを切り取って、映像化したもの。
ドキュメンタリーである。
豪田監督はドキュメンタリーをこう定義づける。
「カメラが存在する事によって新しく生まれた現実を、作り手(僕)の主観によってさらに新たなものに生み出された物語」
あぁ、なんて素直な人なんだろう。
"伝える"ことより"伝わる"ことにドキュメンタリーにこだわりを持つ豪田監督はこう語る。
「僕は長い間、親に愛されていないと思ってきたんです。親は伝えていたつもりでも、僕には伝わっていなかった。伝えると伝わるって一文字しか違わないけれど、そこには不必要な悲劇を生む土壌がある。自分も相手も幸せになるためには、伝える事以上に伝わる事にこだわらないといけないんです」
新鮮な切り込み方に、私もこう意識していたいと思った。
豪田監督がこう言ってくれると、なんだか肩の荷が下りる。
「いい父親になりたい。家族と幸せに一生を過ごしたい。でも、それは自分が期待するほど簡単な作業ではない。」
映画が始まる前やトークショーの間は、yseがくれた、水の輪っかプシュプシュゲームで大人しくしてくれてました。
上映中も、静かに観てくれていた。
っていうより、のめり込んでましたね、母と同じく。
ありがとね、余計な心配をしないで済んだし、映画に没頭することができたよ。
Rickyは、これが人生初の映画館。
初めての映画館がジャック&ベティ、なんて渋いこと!!
初めて観た映画がこの映画、なんてすてきな女子なんだ☺
ちなみにGoedの初映画はドラえもんね。
ご褒美に、イセザキモールでソフトクリームを食べようね。
その時は、今日も元気においしいものをおいしいねって言いながら食べれる幸せを、かみしめては、いなかったけれど。
あぁ、それって本当は、幸せなことだったんだよね。
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