「じしんがあっても、がんばろうね」
「じしんがきたら、テーブルのしたにもぐって、おさいふとかけいたいは、あとでみにいこうね」
4月21日、突然言い出す、突拍子もなく。
「Goed、しまないことにする。akkoさんもしまないようにがんばってね。みんながしまないようにって、かみさまにおいのりしたからだいじょうぶだからね」
この日から毎日、彼は言う。
「しまないように、がんばろうねっ。」
その日は雨の中Goedを連れて車検に車を出しに。
ワイパーが忙しそうに働く車の中。
「Goedんちはかぜがふいても、とばない?」
4月22日、今日も突然抱き着いてくる。
「おおきなじしんがきたら、Goedはテーブルの下にだんごむし。テレビはたおれない?あのたなはたおれない?たおれたら、あとでなおせばいいよね。かみさまのいしはたおれない?」
うん?
かみさまのいし?
私の父のお墓のこと?
「ねるときね、ねてるときにしまないかなって、かんがえてるの。だからいつも、すぐにはねてないんだぁ。」
4月23日、「じしんがきてもさぁ」、あぁ、またかと思ってしまう…。
「じしんがきても、ふうとんちにかわはこない?」
きっと津波のイメージが、地震と繋がっているんだね。
それはどうしてか。
わかる気がした。
3月11日、東日本大震災から5年。
その頃、新聞でも特集記事が増えてきた。
「事実を風化させない」、これがメディアこそができる仕事のひとつだと思っている。
3月11日当日の朝刊には、『あの日から重ねて5年』という別刷りの特集があった。
震災直後に出会った人々が、5年経った今、どんな生活をしているのか。
どんな想いで辛い震災を乗り越えてきているのか。
そんなことが取材されていて、涙を流さずには読み進めることはできなかった。
上の新聞の一面の中でも目立っているサッカー少年は、11歳の岩手県山田町のそらくん。
当時6歳、シングルマザーだった母を震災で亡くした。
震災直後、祭壇の前で、「ママの写真を見ると悲しくなるから嫌なんだよね」と話していた。
今では暗くなるまでボールを追いかけ、祖父母との3人暮らし、いつもふざけて笑わせてくれるという。
でも、独りで昔のアルバムを見ていることがあるという。
宮城県石巻の佐藤さん。
当時6歳だった娘さんが、乗っていた幼稚園バスが津波にのまれて亡くなった。
毎朝娘さんに話しかけるという。
「今日も一日、元気で楽しく過ごしてね。ママも頑張ります」と。
今佐藤さんは語り部として当時を語り、防災を呼びかけているという。
岩手県釜石の風音ちゃん。
当時3歳、津波で母と兄を亡くした。
ずっと、兄と喧嘩しているビデオを見続けているのは、記憶を留めようとしているのか
「お母さんとお兄ちゃん今、何してるのかな」最近ふとつぶやくことがあるという。
犬を飼い始め、弟のようにかわいがっているという。
私に、東日本大震災を風化させないように仕向けたのはメディアだけでは、ない。
本棚にあるものの、決してGoedから「よんで」とは言われない絵本のひとつが、『はしれさんてつ、きぼうをのせて』。
それが、3月11日、「よんで」とGoedが言う。
この偶然は、なんだろう。
しかも最後までちゃんと聞いてた。
この偶然は、なんだろう。
多分、東日本大震災の影響が強いのだと思う。
3歳の誕生日旅行で三陸を旅したことで、私達親子は、命の尊さ、震災の残酷さ、人間の強さ、当たり前でない日常の幸せを、より一層植えつけられた。
時々、Goedの「しまないように」に辟易することもあるけれど、彼の正直な気持ちなんだよね、いやだと思わないでいれる時は極力、素直にGoedの想いを受け入れよう。
そして私も、胸に刻もう、「しまないようにがんばろう」って。
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