6月2日日曜日。
ぶどう畑に囲まれた会場は、遠くに南アルプスも望めてね。
それはそれはいろんなストールが出てました。
我が家はこういう場所に来ると必ず探すモノがあります。
それは…
ウルトラマンのソフビ。
誰かしら売りに出してるんですよね。
ふと寄ったストールに、ありました。
お洒落というわけでなく、衣料、氷水で冷やしたジュース、文房具、おもちゃが雑多に置かれたストール。
独りで切り盛りしているのが、美しく輝く白髪のおばあさん。
後から思えば、私の幼い頃の記憶にある、祖母が同じように独りで切り盛りしていた商店の雰囲気と、祖母と同じように美しく輝く白髪と、祖母と同じようなシワのお顔のおばあさんに、私は、吸い寄せられたような気がする。
遠くから、勝手に写真を撮ってしまいました、ごめんなさい。
このストールで、2体のソフビを発見し、SatocchiとGoedを大きな声で呼び戻す。
そのうちの一体が持っていないソフビだと、ふたりも大喜び。
それぞれに200円の値札が付いている。
本当はもっと高くてもおかしくないものだけど、おばあさん、そんなこと知らないもんね。
なんかもっと買いたくて、鉛筆好きな私、文房具コーナーにあった赤い鉛筆も買うことにした。
2本入りで20円だったかな。
お金払おうとしたら、
「鉛筆のお金はいらないわ」
「そ、そんな、困ります、もらってくださいっっ」
そばにいた顔見知りっぽいおじさんが、私達の二進も三進も行かないやりとりを聞いていて、
「持ってけし、気持ちだから」
ありがたく頂戴することにしました。
しかもおばあさん、
「ボク、これ、もってきなさい、あれ、ストローがないなぁ~」
保冷BOXからチチヤスのリンゴ味を取って来てくれた。
もう絶対、儲けなんて考えてないでしょう、おばあさん。
一瞬のうちに、頭の中でおばあさんの背景を考えようとしてしまった。
きっと、戦後に始めた商店は、もはや時代の波に呑まれて閉じてしまい、売れ残ったものを細々とこうして売っているのではないか、若い時の商人魂が忘れられず、楽しみとしてマーケットでストールを出すことを、孫や家族も応援しているのではないか。
まだまだお元気そうだけど、お歳はきっと80歳は越えていらっしゃると思われる。
儲けることなんかより、楽しく一日を生きる、よりよく生きる、健康に生きる、自分らしく生きる。
だからおばあさん、もっと高くていいはずのソフビに安い金額を付けちゃう、売り物の鉛筆をあげちゃう、暑いから準備したであろう自分用の飲み物を子どもにあげちゃう。
終戦後満州から幼子3人を連れて引き揚げた私の祖母とどうしてもかぶしてしまう。
やっとの思いで佐世保から塩山の御姑さんの所に帰った祖母にふりかかった御姑さんの冷たい言葉、
「なんで、おまんらだけでけぇってきたっ!!」
くいぶちが増えたこと、息子が満州からいつまでたっても生きて帰ってこないことで、辛く当たられた祖母はそれでもがんばって商店を始め、再婚もせず3人の息子を育て上げた。
私の父は小学生の頃、荷車を引いて遠くの町までパンを仕入れに行くお手伝いをしたそうな。
もうひとつの望みは旦那が生きて帰ってくること。
「ただいま」って言葉をどんなに待ち侘びていたかな、おばあちゃん。
いや、そんなこと想う暇もないほど、一日一日を終わらせることに必死だったかな。
涙、出る。
お父さんにもっと、話を聞いておけばよかった。
おばあちゃんともっと、話をすればよかった。
ふたりに、感謝を、労いを、すればよかった。
今はもうふたり共、いないから、後悔と、想像しか、できないよ。
おばあちゃん、あなたが子守りした孫のkazuは、立派な会社に就職して、アメリカ駐在7年を終えてもうすぐ帰国しますよ。
kazu達が一時帰国したので、今回集まったんですよ。
楽しい夜の宴、花火、楽しい時間を過ごしましたよ。
みんな元気で幸せですよ。
おばあちゃん、あなたの次男坊の次男坊の長男は、あなたのフェニックス在住の三男坊の長男の嫁にお願いして、ダンスに使いたいと、ジャスティン・ビーバーが着ていたフェニックスのアイスホッケーチーム、コヨーテスのアイスホッケーシャツを買ってきてもらいましたよ。
受け取った翌日には着て踊っていましたよ。
つまり、みんな仲良くやってますよ。
ちなみに、私の旦那も、子供の頃にNYで食べまくっていたお菓子を買ってきてもらってましたよ。
ぶどうの花がポヤポヤと、今から実を結ぼうとしています。
そんな季節のお話でした。
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