体操教室の後、耳鼻科にゆき、3日前のあの心配な咳と呼吸がなんだったのか、診てもらった。
あ、Goedです。
答えは、「たまたま気管が細くなっただけ」「これからもあるかもしれない」
「でもとにかく、今胸の音を聞いた限り、なんにも問題ない。」
よかった。
たった3日前のことなのに遠い過去のようにも思うし、でも今でも思い出すと、かすかにドキドキするよ。
お薬もらったら、いつものように図書館に行こう。
いつもならおにぎり買って、川原で青空ランチなんだけど、Goedが言う、「チュルチュル食べたーい」。
そうかぁ、じゃ、どうしようかな~って考えながら、ふと通り過ぎたお店に、後ずさり。
"ハマコ(浜小町)"
Goedと二人で食事なんて、3歳になった今でも敬遠しがちな私。
だって、大変だもん。
椅子にジッとしてられないし、テーブルの上のもので遊ぶし、落とすし、熱いだ辛いだ、もっとくれだ、あれじゃなきゃいやだ、もう行きたいだうるさいし…。
友達がいようものなら、相乗効果によって騒音・迷惑度は倍増よ。
Goedとの外食は正直言って、私にとっては味わうものではなくて、こなすもの、だった。
だから行くとすれば、マックやサイゼリヤ、最近はスシロー、お世話になっちょります。
ところがだ。
私とふたりなら、静かだったり小さかったりするお店も、入れなくもないように、なった、かな。
この日のハマコでは、成功。
大盛りにしてもらった"ナストマ"をふたりでシェア。
他のメニューも気になります。
次から次へとやってくる客はサラリーマンばかり。
みんな、こぞって同じ注文。
「カルボ大盛りと、お茶碗カレー」
カルボナーラはSatocchiの大好物、ふむ、今度連れてきてあげなくっちゃ。
(また来る口実)
Goedはといえば、待ってる間、一緒におしゃべりしたり、一人でちっちゃく遊んだりして、待つ。
料理がやってくると自分のお皿に自分で、取り分ける。
こぼすと「こぼした」とバツが悪そうに、申告する、自分で取る、拭く。
「おいしいねっ」って旨いを、共感する。
今まではすっぱくって「違うのーっ」って拒否してたオレンジジュースも、飲める。
食べ終わると「すみませーん」と店員さんを呼びつけ、「ごちそうさまでした、ピカピカにしたよ」と、お皿を渡して誇らしげ。
あら?
なんか、楽しいよ。
こんな風に食事できるなら、酒が飲めるようになった風人と居酒屋やバーに行くことだって、楽しみにしてしまいそうだよ、お母さんは。
ごちそうさまでした。
満腹満足なGoedと私。
お互いに写真を撮り合う。
逆光だけど構図が良いので採用→。
図書館へ向かいます。
途中の橋で、いつものアレ、します。
Goedは電車を見て過ごす、私は絵本を見て過ごすという、アレです。
取り出した本は、図書館で借りた、
『そとごはん』
ヘレン・オクセンバリー 作・絵
谷川俊太郎 訳
おっ、まさに今、そとごはん、してきたじゃん。
どれどれっと。
片付けてはちらかされ、落とされ、壊され、母が言う、「つかれたー」
疲れ果てた妻を見て、父が言う、「こんやはそとでたべよう」
みんなでレストランへ行く。
なかなか料理がやってこない。
テーブルの上はしっちゃかめっちゃか、椅子の上で大暴れの息子に、父が言う。
「あのこたちのようにぎょうぎよくできないのか」
料理が運ばれてきた。
さぁ、食べよう。
「おしっこー」
母が言う、「どうしてごはんがくるまえにそういえないの」
お腹すいてないし、テーブルの下にもぐりこんじゃえ。
あ、足…。
「うんざりだ」と父。
「にどとごめん」と母。
「うちでごはんがいちばん」とボク。
食事はやめて、みんなでうちに帰る。
そして、息子はオートミール、両親はコーヒーで食事を済まして、ホッとするのでありました。
日本なら、吉野家の牛丼のテイクアウトってとこかしら。
ふむふむ。
実際こういうことあるよね。
わかる、わかる、わかり過ぎる。
でも、なぜか、我が家のようなイライラ感が伝わってこない。
我が家なら、「なんでちゃんとできないのっ!!!」ってイライラが、家に帰っても引き続きそうなものだけど。
むしろ、ほのぼの感しか漂ってない。
こうありたかったな、こうありたいな。
ちょっと、痛い。
ちょっと、反省。
でも、ひとつ、ほのぼの感の原因がわかった。
絵本の中の旦那さんのちょっとした仕草。
欧米だ、といえばそこまでだけど、常に奥さんに手を当てている。
よく見たら、最初のページ、お母さんが疲れ果てている時は、張本人である息子の頭をなでている。
これだよな。
これだ。
妻を労り、息子を許し、きっと逆の時は、妻が夫を労わり、息子に許される、そんな家族なのだろう。
そういえば、我が家、外食におけるこの手のイライラは、過ぎ去ったのかもしれないな。
あんなに外食が大変だったのに、いつまで続くんだろって思ってたのに。
気が付けば終わってた。
(ひどい時期が、終わったの意味)
しかし新たな問題はどんどん生まれ、しかし悩んでた問題は過ぎ去る。
それが、成長、なんだな。
これは、何年たっても続くんだな、息子に対しても、自分に対しても、家族に対しても、社会に対しても。
なーんて、ハマコでのランチと、橋で読んだ絵本のリンクが小気味よくて、想いを書いてみたのでありました。
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