フェードル・ロジャンコフスキーの絵に惹かれて、次に借りた本がコレ。
『りすのパナシ』。
同時に知ったのが、"ペール・カストール"という作家。
フランスには、"カストール業書"なるシリーズがあるようで、これがとっても気になってる。
今でも版を重ねているらしい。
この『りすのパナシ』も、シリーズ作品のひとつ。
読んで、ますます、もっと知りたくなってきた、カストール業書。
ロジャンコフスキーのイラストは、自然模写がとても細かく忠実で、それでいてかわいくってあったかい。
フォシェは、まさに、カストールの奥様。
『りすのパナシ』の文章は、これまた自然模写が細かく、まるで、りすの生態ドキュメント番組を観ているかのような錯覚に陥るほど。
やさしい内容の中にも、自然の厳しさが練りこまれていて、"生きる"厳しさ、緊張感を覚える時もある。
これって、子供にだって必要なことだよね。
絵本から、無意識にそういうこと教われる、良き絵本だと思う。
動物の強さ、りすの生態模写、自然の教訓、文章の美しさ、すてきな日本語訳を、抜粋してみよう。
「巣は、わたしたちがさがさなくては、だめなんです。天からふってなんか、きやしませんからね。」
「ところで、りすのしっぽは、とてもふしぎなものなのです。ふわっと、ふくらませてさえいれば、まるで、つばさをもっているように、地面におりてくることができるのです。」
「おかあさんは、パナシの耳をひっぱって、『大自然のおくりものは、たいせつにするのですよ!』と、おしえるのでした」
「ところが、ある日、かなしいことに、この世には、友だちだけではなく、おそろしい敵もいるのだということを、しらなけれはなりませんでした」
「これを見たとき、パナシには、やっとわかりました。こういうときのために、しっぽは、いつも、ふわふわにしておかなければならないのです」
「いちばんそとがわの、みどりのふくろをむきました。るすと、なかから、ちゃいろのからがでてきました。そのかたいからを、カチンと、歯でわると、とてもおいしそうなにおいのする、白い、小さい種がでてきました」
「子りすたちは、なにかのゲームだとおもって、おなじように、じぶんたちの木の実をかくしました。でも、それは、ゲームなんかではありませんでした」
「だれに、おそわったわけでもないのに、心のなかでしっていました。この世界は、いつまでも、こんなにさむく、白いままでいるはずはないのです」
いしいももこさんの訳、ほんと、いいのだよね。
日本語訳した時によくある不自然さが、ちっともなく、美しく、きっとフォシェさんも大喜びだろう。
森のこと、自然のこと、遠のきがちな私達の生活だから、こうやって知ることができること、幸せだ。
Goedがそれらに興味が持てたら、もっともっと一緒に、森に近づいてみよう。
いいや、興味を持てる人間に、育てるべき、だね。
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