再び元に戻ること。
生きる物の体はいつの日か、土に帰り、想い出は残された者達の記憶に留まる。
その記憶は、10年、50年と遺されたものを育み、100年、200年、1000年と時を経て遠い歴史となる。
そんな、「人が生まれて死ぬ」という一連の作業は、太古の昔、何万年も前から繰り返されている。
今を生きる者達は、少しでも誰かの役に立ちたいとも、少しでも自分の人生を謳歌させたいとも、考える。
もしも、自分からは動けない"モノ"にも心があったとして、そのモノ達が、チャンスを与えられず関心を持たれず、粗末に扱われ本来の自分の姿を魅せることができなかったら、きっと涙を流しているに違いない。
きっとモノを大切にする気持ちとは思いやであり、また知恵であり、思いやりと知恵が世の中にあふれたら、素晴らしいことではないか。
そんなことを考えるチャンスをくれた4冊の本を、まとめて備忘録。
死ぬことは、誰にとっても一生に一度のことであり、とても怖い。
また、愛する人に先立たれることも、考えたくはないが、昨日までの息づかいを失くすこと、そこはかとない悲しみだ。
受け入れがたい"死"というものに、そっと寄り添ってくれる本を、読んだ。
・『いのちの木』
・『葉っぱのフレディ』
『いのちの木』 ブリッタ・テッケントラップ作 森山京訳。
表紙をめくった途端に、群青色と水色、水色と朱色のコンビネーションの枝が現れる。
1匹のきつねが、今、永遠の眠りにつこうとしている。
森の仲間達は、見守るしかない。
在りし日の元気なきつねとの想い出を、思い出しながら。
きつねが亡くなると、不思議なことに、その場所から木が生えた。
木はぐんぐん成長し、リスが巣を作り、小鳥が羽を休め、熊や鹿は木陰で休むようになり、森の仲間を育んだ。
みんなの悲しみを時が沈め、この木の周りで、みんなが穏やかで前向きになれた。
きつねは亡くなってもなお、みんなの心の中に生き続け、糧となったのだった。
遺される側と遺す側の、理想的な姿だと思った。
『葉っぱのフレディ』
レオ・バスカーリア 作、島田光雄 絵、みらいなな訳。
作者からのメッセージとして、まず、
「死別の悲しみに直面した子供達と、死について的確な説明ができない大人達、死と無縁のように青春を謳歌している若者達へ贈ります。」と、ある。
フレディは春、葉っぱとして生まれた。
高い木の上で、気持ちよく揺れながら、葉っぱに生まれてよかったなぁと、幸せを感じている。
みんな同じ葉っぱなのに、ちょっとずつ、色の付き方が違うのは、葉っぱ一枚一枚が、それぞれ違った環境にあるからだと、お友達が教えてくれた。
お日様の当たり具合が違ったり、気温だって微妙に違ったりもするんだと。
寒いくらいの強い風が吹き、何枚かの葉っぱが宙に舞った。
フレディは怖くなった。
死ぬのなら、生まれてきたことに意味があったのかという問いにも、友達は、大きくうなづいた。
よく遊び、良く働いた。
人々に木陰を作ったり紅葉してみせて、楽しませてあげることができたじゃないかって。
フレディが枝を離れたのは、雪の朝。
舞い降りた地面は雪でフカフカで居心地がよく、初めて下から、自分のいた木の全体を見たのだった。
春が来て雪が解けると、フレディの葉っぱも水に土にと溶け込んで、木を育てる力に変化してゆく。
「大自然の設計図は 寸分の狂いもなく、"いのち"を変化させつづけているのです」
無駄な人生などはない、生き物の命は紛れもなく大自然の設計図の一部であり、死がなければ生もないことなのだと、遺す者と遺される者両者へのメッセージが、綴られている。
次は、モノを大切にする気持ちのお話。
モノを大切にする気持ちは、心の強さから生まれるのかもしれないと、日々思っている。
他人に流されない、自分だけの信念。
その心地よさは、その人にしかわからないかもしれない。
モノを大切にしたい、そう思える絵本に出会った。
・『しあわせなモミの木』
・『さみしかった本』
『しあわせなモミの木』
シャーロット・ゾロトウ作、ルース・ロビンス絵、みらい なな訳。
品の良いアパートの並ぶ一角に、なかなか借り手のつかない古ぼけた建物が1件あった。
そこに、クロケットさんという粗末な身なりをしたおじいさんが、住むことになった。
クロケットさんは、建物の前の、何年も木の植わってなかった花壇をせっせと掘り起こして土作りをしたり、窓ガラスを自分でセッセと掃除したり。
そんなことが、品の良いこの通りの人々にとっては、何か貧乏くさいことで、変り者のおじいさんと言われる由縁となっていた。
その年のクリスマス、クロケットさんは、花屋の奥の奥に置かれていた小さな枯れかかったモミの木が、気になって仕方なかった。
店の主人は枯れているからお金はいらないと言ったが、クロケットさんは価値ある分、きちんとお金を出して買ったのだった。
枯れかかっていた小さなモミの木は、ふかふかの手入れされた土とクロケットさんの愛情で、すくすくと成長していった。
小鳥達が集まるようになり、コーラスを奏でた。
初めはクロケットさんを変人のように見ていた、近所の人達の冷たい心もほぐれ、数年後のクリスマスのこと。
大きく成長したモミの木に、色とりどりの小鳥達がまるでクリスマスツリーの飾りのように集い、その木の下で子供達がクリスマスキャロルを歌った。
クロケットさんが周囲の人々を巻き込んで、そんな素敵なクリスマスが、ようやくこの通りにも戻ってきたのだった。
他人に無関心であったり、外見だけを着飾りガチな現代の人間社会の空しさと、モノを大切にすることの素晴らしさが、語られている絵本だと思う。
『さみしかった本』
ケイト・バーンハイマー作、クリス・シーバン絵、福本友美子訳。
アングルの美しさが際立つ、絵の美しい絵本。
モノにも想いというものがきっとある、それに気付ける人間でありたいと、読んで思った絵本。
図書館にやって来たばかりの頃は、みんなから大変人気のあった、キノコと女の子の表紙の本。
本は幸せだった。
しかし、何年も経つと、誰も借りなくなった。
本もボロボロ。
いくら古ぼけたって、この本のお話が、ふしぎなおもしろさにあふれていることには変わらないのに。
本はさみしかった。
女の子の部屋の本棚には、顔見知りの本も初対面の本もいて、この棚でこれから6日間眠るんだと思うと、本は嬉しかった。
毎日寝る前に、お父さんが女の子に読んで聞かせた。
最後のページが取れてしまっているので、自分なりにラストは想像してワクワクしたり。
寝る時には枕の下に置いて、本のお話の夢も見た。
女の子はもう一度延長して借りようと思った。
古本市は、後半、雨に降られた。
気が付いた人はいないと思うが、あの本の表紙の女の子は、涙を流した。
ふと、本は聞いた、懐かしい声を。
「すみません、いいですか。」
この古本市に出されたと知った女の子が、探し回っていたのだ。
スタッフの人が言った。
「この本は、ずっとあなたが来るのを待っていたのよ」
こうも言った。
「私もね、子供の頃、この本が一番好きだったのよ」
おうちに持って帰ると、破けたページをテープで留めて直し、声を出して読んだ。
本は、これからずっとここにいれると思うと、天にものぼる気持ちになった。
女の子も、本の気持ちと同じように、この本を再び手に入れることができて、本当に嬉しかったのだ。
女の子のこれからの人生に、ストーリーはもちろん、色合い、セリフ、登場人物の洋服、世界観などが、多からずも少なからず、影響を与えるのだろう。
そんな、ちっちゃくても影響をもらえる本にたくさん出会えたら、幸せだね。
借りる時間と読む時間を作り、頭と心をふかふかにしておけば、人生ちょっとモウケモンだね。
0 件のコメント:
コメントを投稿