2014年7月4日金曜日

岩手を旅して大きくなる⑥―陸前高田、大震災の爪痕―

大船渡から陸前高田へと車を走らせる。
道路脇には、関東では見られない標識が目立つ。

"浸水区間標識"

陸前高田の中心部と思われる場所へやってきた。
なにも、ない。

瓦礫はほぼ完全に撤去され、広大な更地が続く。
町を飲み込んだ巨大な津波の怖さ、想像を絶する。

今日泊まるホテルは、"キャピタルホテル1000"。
私がこのホテルを知ったのは、大震災3年目を特集した朝日新聞の記事。
ここの従業員の女性の話からだった。

ここに泊まりたいと思った。
今回の旅のプランが固まってきたところで、すぐ、予約した。

キャピタルホテルは震災前は、海岸近くに建っていた。
大津波は4階部分まで襲ったという。
現在のホテルは、未だに津波の爪痕の残るものの、海岸から2km離れた高台に移動して、2013年11月1日に再開。

私達は、荒涼とした陸前高田中心部と思われる場所を車で走りながら、もはやカーナビも使用不可という時に、高台に煌々と光る建物を発見。

あ、あそこに違いない。

まるで灯台だった。


ホテルの周りは、植栽があるわけではなく、立派な駐車場があるわけではない。

でも確実に、ここに来れば安全だよって、言われている気がした。
ホテルの部屋から見た景色に、改めて言葉を失う。
2km先に見える、あの海。

あそこから建物の4階部分まで飲み込むような巨大な津波が来たんだ。

高く積まれた木々は、高田松原と呼ばれる江戸時代から続いてきた松林の残骸か。

あちこちに水が溜まっているのは、この辺りが地盤沈下しているからか。










ホテルにあった大震災の記録集で、翌日訪れた"道の駅高田松原"が津波に呑まれた時の様子を知る。



道の駅の中に、松の木が入り込んだまま。
海は背面。
ということは、引き波で戻ってきた松なのか。

高田松原7万本という松が、たった1本を残して、根こそぎ津波に倒されてしまった。


道の駅のはす向かいが、ガソリンスタンド。
ガソリンスタンドの看板がひしゃげてる。



道の駅には追悼施設があった。
仏花をお供えし、この大震災で亡くなられた方々のご冥福を、お祈りした。







今日という日を、家族三人で、歩いている、生きている。

有り難いことなんだ。
当たり前なんかじゃ、ない。

今、私が文章を書いている傍らで、Goedがソファーに座り、スマホで撮影した過去の動画を観ている。
数時間すると、今まさに飛行機に搭乗しているSatocchiが、福岡から帰ってくる、「ただいま」って。

「ただいま」って帰ってきたら、みんなで、今日という日を無事に過ごせたことを、改めて、感謝しようね。

"奇跡の一本松"。
350年前から始まった松の植林は7万本。
たった1本残ったこの松は、高さ27.7m、樹齢は鑑定結果173年。

震災の当日は、10時間以上も水没していたという。
塩分が濃い上に、油や化学物質が含まれてしまった海水が土壌に染み込んでおり、幹にも漂流物による傷が付いていた。
また地震のため周囲の地盤が80センチメートル程度沈下し、根が海水に浸るようになった。

翌年の5月に枯死と判断され。
モニュメントとして保存する計画には、多額な費用がかかるため賛否両論があったが、実行決定。

幹を防腐処理し、枝葉をレプリカで再現して復元することになった。
これが"奇跡の一本松保存プロジェクト"。




その他、クローン技術で、一本松の苗が4本育っているという。
これが、"つぎき4兄弟"。
長男ノビル、次男タエル、三男イノチ、四男ツナグ。
アンパンマンの父、故やなせたかしさんが名付け親。

大きくなぁれ。




ここ陸前高田で目に飛び込んでくるのが、張り巡らされた、土砂運搬用ベルトコンベア。

←雲が覆ってしまってるけど、写真奥に、高さ120メートルの山がある。高さ40メートルになるまで削り、岩と土砂をベルトコンベアで平地部に運んでいるそうだ。

低くした山は、高台の住宅地に。
輩出した土砂で、地盤沈下した平地部をかさ上げ。










ホテルの駐車場から奇跡の一本松方面を見る。
大震災の被害はあまりにも甚大過ぎて、"街"になるまでは、きっとまだ時間がかかるとは思う。

休憩中の工事関係者が腰を下ろして休んでいる。

3年3ヶ月、自身の被災を乗り越え、街の復興作業に明け暮れているのですよね。



2014年6月10日現在。
死者は15,887人、重軽傷者は6,150人、警察に届出があった行方不明者は2,615人。

2014年6月12日現在。
公営・応急仮設・民間賃貸などの住宅への避難者数は、234,558人。
親族や知人宅などへの避難者数は、16,371人。


自分の住む場所から、新幹線でたった3時間だけ走った場所に、東日本大震災という大災害が起きた場所が、ある。
たまたま、自分の場所ではなかっただけ。


被災者の方々が、心から笑える日、大の字になって気持ちよく寝られる日、我が家と言える場所ができる日、希望を掴む日、一日も早く訪れてほしい。






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