2014年10月24日金曜日

北海道はでっかいどー3日目【札幌から函館へ】

旅行にピン留めを持ってくるのを忘れてしまったのだけど、お陰でかわいいピン留めを発見。
旅行中は大変お世話になりました。


ホテルのお部屋のお風呂には、アンパンマンの椅子と洗面器、そして、入浴剤。
ちょっとしたホテルのサービスがうんと嬉しい。
心地いい。





朝食は、旅の中でも好きな時間。

こちら"ホテルクラビーサッポロ"の朝食ビュッフェ、とてもよかった。
北海道ならではの食材やお料理が並びます。

「北海道の子供はみんなこれで育った」というフレーズの"カツゲン"という乳酸菌飲料。
北海道産牛乳は2種類。
卵もお米も、ご当地。
納豆も2種類、もちろんご当地。

ガタタンは、炭鉱の街として栄えた芦別の郷土料理。












二日間、こちらの朝食で、善きスタートを切らせて頂きました。




朝食を取った後は、時計台とテレビ塔まで、ぶらぶらお散歩。

これが、かの有名な札幌と言えばの時計台か。
建物は、元々は演武場だったのだね。
テレビ塔は、東京タワーみたい、でも高さは147.2m。

下に目をやると、マンホールの蓋好きな私を唸らせるものが横たわる。




はたまた、札幌市の心意気もありました。
灰皿設置場所以外の喫煙と、ポイ捨て行為に罰金1000円也。
サッポロビール工場、夜のお散歩もよかったけど、青空の下で見るのもいいものだ。

秋の空、赤レンガに絡まる蔦の葉っぱ、周りに植えられたナナカマドの赤い実がチラリホラリ。


明治3年、肥前(現在の佐賀県)出身の開拓判官・島義勇が札幌本府建設のため200人の部下や人夫をひき連れて札幌入りした
このときの札幌中心部の人口は「2戸7人」と記録されてる。
近郊の住民はアイヌの人々も含めてせいぜい100人ばかり。
鹿や熊や狼がうろつく、太古のままの原野であった。

開拓使のビール醸造所が誕生したのは、明治9年(1876)のこと。

建設・事業責任者は村橋久成、鹿児島生まれのサムライだった。
北海道の農業振興と、近代的な産業おこし、それが若いころイギリスで近代的な産業を目の当たりにした村橋の夢であった。
ビール醸造は、できた農産物を加工し、製品として全国に広く販売する、近代的な産業そのものだったのだ。


そんな歴史を感じながら、元ビール工場の周りをぷらぷらお散歩。

ホテルをチェックアウトして、本日は函館まで走ります。




高速道路に乗る前に、札幌でもうひと仕事。
テレビで観て気になっていたケーキ屋さん"きのとや"本店へ寄らなければなりませぬ。



朝ごはんの後しっかりと散歩していたので、小腹がすいてる私達。
おいしくケーキを頂きました。
Goedには、プレートについてきたミニボウルのソフトクリームに、父と母のプレートのあれやこれやでトっピングしてあげましたさ。


満足して札幌を後にする。
高速道路に乗って、白老町へ。
白老町には、"アイヌ民族博物館"があるのだ。

高速道路を走り始めると、ものすごい豪雨。
ワイパーでは掻ききれないほどに。

それが白老町を下りる頃には雨が細くなり、博物館に着くや否や雨は上がり、ミラクル。

駐車場では、一日に一本しか通らない一両編成の室蘭本線をキャッチ、ミラクル2。


ポロトコタンという場所に、博物館は、ある。
ポロトは「大きい湖」という意味のアイヌ語地名で、コタンは「集落」。
つまり、「大きい湖の集落」の意味。




アイヌの人達によるお話、伝統舞踊、伝統音楽の公演にも参加してみた。
語り部の方のお話がとても愉快で、それでいて、アイヌという民族が確実に日本には存在するということと、アイヌ文化を否定、差別することはあってはならず、共存することが当たり前のことなんだということが、身に染みた。
そして、アイヌの人々への自然を敬う気持ちに憧れもした。


 一緒にダンスをする時には、Goed率先してステージに上がる。
でも、独りではちょっと恥ずかしいようで、私も。

資料館にはたくさんの展示があった。
伝統衣装や生活文化の昔と今を知ることができる。

やっぱり気になるのは、女の一生。
仕事の役割、結婚、出産、どんな苦労がありどんな幸せがあったのか。

生死にかかわる妊娠と出産のことは、特に気になる。
出産の様子を写した写真もあった。
貴重な写真だよね。


アイヌとしての誇りと未来への継承を持ち続けるアイヌの人達。

私には欠けているね、民族の誇りや未来への責任。
何か小さくてもいいから確固たるもの、探したいと思った。

アイヌ文化を目で観て耳で聴いて楽しんだ後は、お約束の、ソフトクリームね。
アイヌ文化じゃないけどね。


漫画でわかりやすそうだったので、この本を自分への御土産に購入。

ありがとうは、イヤイライケレ、だそうだ。
こんにちはは、イランカラプテ。

北海道の地名は8割はアイヌ語に由来しているという。
札幌は、サッ・ポロ・ペッで乾く・大きな・川。
登別は、ヌプル・ペッで濁った・川。
室蘭は、モ・ルランで小さい・坂。


風は、レラ。
人は、アイヌ。
日本語で良いは英語でgood、蘭語でgoed、アイヌ語でピリカ!!

アプンノ パイェ ヤン、さようなら、ポロトコタン。


函館に向けて出発。

ロングドライブのお供に、スーパーで見つけた"ほっけソーセージ"。
パッケージに書いてある「道産主義」というのがいいじゃない。
味は、ほっけかどうか私の舌ではわからない、魚肉ソーセージ。



白老町から函館までの間に、唯一寄ったのは、P.A1回のトイレ休憩と洞爺湖。

当初は、洞爺湖サミットで一躍有名になった"ウィンザーホテル"でトイレ休憩の予定だったんだけど、洞爺湖インターから25分ものアクセスタイム、時間がもったいないので、やめました。



今宵のお宿、"ラビスタ函館ベイ"に、無事到着、チェックイン。
荷物を部屋に運び込むと、休むことなく、再出発。
目指すは函館山の夜景なり!!

夜は交通規制あり。
一般車でお山は登れません。
ロープウェイで、登ります。

日本三大夜景のひとつ、というより世界三大夜景のひとつと言われている、函館の夜景。
なんといっても、くびれが美しいのだね。
後で、北海道の地図を見て、このくびれの部分を探した。
壮大に見えるこの地形が、北海道の中では、ほんのちっちやな一部であることに、驚く。


1800年、伊能忠敬はこの函館山を起点として、蝦夷地の測量を始めたのだという。
彼はここから、今のようにまばゆい光は見ることはなくとも、同じ地形を見ていたのだね。

夜景を堪能したら、次は夜ご飯。
両親は呑みたいわけですから、車を置いてホテルから歩ける場所が必須、よって、"はこだてビール"。
ピアノライブなんかもあって、Goedは、終始聞き惚れておりました。
お隣の姉妹とGoedに、ピアノのお姉さんが『アナと雪の女王』を弾いてくれるというサプライズのプレゼント♪
子供達、大熱唱♪
お姉さんも「ちっちゃなお子さん達の歌声が聞こえました!!」と、喜んでくれた。
こんなことが、烏賊の旨さ以上に、幸せだった☺


まだまだ函館の海の幸を堪能したくて、ハシゴ。
今度は、日本酒が進む。
あぁ、最高、"きくよ食堂"。


真イカの沖漬けがあまりにも美味しく、店員さんに感想を伝えると、"マルナマ"さんの加工品だと、調べてメモまで持ってきてくれた。

これが翌日の沖漬け探しの楽しみとなるとは、まだ私達は知らない…。


函館の夜は更けてゆく。
駅前でないから、とても静かなホテルの周辺。

目の前は水産物卸売市場。
夜中に時々目が覚めて窓から外を覗きこむと、行き交う車は、市場に出入りする車ばかり。


明日が北海道旅行最後の日。
車から降りて市場へ入ってゆく人には、その人の生活がここにある。
私にも生活という現実があるのだけれど、旅の間だけは、現実を離れても、いいんです。





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