2017年1月17日火曜日

【5歳の成長】反抗期突入

すごく書き残しておきたかったこと。
大事なこと過ぎて、きちんと書き残したくて、PCにじっくり座る時間を取ろうとしていたら、忙しさにかまけてしまい、書いては延び書いては延び。
一大発起して続きを書こうとしたのは、書き始めてから8ヶ月も経ち、年も明けた1月。
当時の気持ちも事実の記憶も薄れてしまったけれど、書き留めておいたことを中心に完成させよう。

最後の日付は5月27日となっていて、5歳の誕生日の10日ほど前になる。
「Goedが反抗期に入ったようで、今までとは明らかに、違う毛色の反抗だ。
反抗、言葉を使って、一生懸命してる。」
で、その文章は始まっていた。

続けます。
覚えたばかりの、大人やTVやお友達が話す言い回し、特にそれは私の言い回し。
それに多くはない語彙と、まだ完璧ではない文法や時制を駆使し、歯止めのきかないエンドレスな抗議を、反抗心と共に行う。

ビックリするような言い回しをする。
それは時に笑っちゃうけど、ほとんどは笑えるようなシロモノではなく、こちらをイライラさせる。
まるでヤンチャな中学生。
あまりの意味不明な言い訳と屁理屈のオンパレードに、頭がおかしくなっちゃったんじゃないかと思ったりもした。

ある夜は、延々と続く自分の正当化と私への説教を黙って聞いていたら、私の育て方が間違っていて、きっと私が理詰めで諭していたから、まだ4歳のこの子がこんなにも饒舌に屁理屈を言えるようになったのかと、自分を責めた。
取り返しのつかないことをしてしまったと、自分を責めた。
今後の彼の行く末も恐ろしく感じた。
Satocchiの胸で泣いた。

この話にはまだ続きがあって、泣いている私に急いで走り寄って来て、「akkoさん、泣かないで、ごめんなさい、Goedがわるかった」を繰り返し言う。
「パパ、akkoさんがないちゃう、どうにかしてっ!!」と、パパに泣いて懇願する。
このGoedのスイッチの切り替えさえも怖かった。

更にまだ続きがあって、あの後、私は初めて家出をした。
私に反抗心剥き出しで、反抗の言葉は休むことを知らず、次から次へと屁理屈の応酬。
かと思えば、泣きじゃくる私に、コロッと態度を変え今度は「ごめんなさい」の応酬。
自分の育児に対する自己嫌悪と、Goedへの怒りとで、家にいられなくなったのだ。

近くの公園のベンチに腰を下ろす。
家出したからには1時間は外にいようと、どうでもいいプライドを持つ。
しかしながら、あっという間にGoedとSatocchiが私を探し当ててしまった。

私は更に場所を変えて家出を続行しようとしたが、またも、見つけ当てられてしまい、家出失敗。
その後どうしたのか覚えて、ない…。

今じゃGoed、あの時の面影なんて微塵も、ない。
いつ、あのにっくき反抗期が終わったのかも、わかならい。
思えばなんでもそうだったけど、気付いたら終わってるもの。
あんなに悩んでた指しゃぶりも、あんなに悩んでたお友達を威嚇してしまう行動も、トイレに10分おきくらいにいってしまう行動も、気付けば終わってたっけ。

ただ、反抗が始まると、「そんな言われ方されたら悲しいよ」と気持ちを伝えたり、「こういう言い方でもよかったんじゃない?」と提案してみたりは、続けた。
初めは押さえていても、優しくしてれば調子に乗りやがって、堪忍袋の緒が切れたら最後、Goedの上に雷を落としては、逆に切れられて、喧嘩になって、冷戦ってパターンが大半でしたが…。

反抗期の面影こそなくても、それなりに反抗はします、ただ、言い方が格段に違う。
反抗の中に屁理屈はないし、どこかにユーモアがあったり、話しあえばわかりあえたり、素直に聞き入れるから、素直に謝れるようにもなった。
ほんと、反抗期の頃は、Goedの返事に「わかった」「いいよ」「うん」「~でもいい?」「は~い」なんてなかったからね。
まずはなんでも「え~、やだー、も~、だって」、からの屁理屈と、愚図りと、泣くだ喚くだ、怒ってばかり。

あれはあれで、みんなが通るプロセスだったのか。
Goedスペシャルだったのか、とにかく、我が家としてはこのプロセス、通ってよかったと思ってる。
私のような怒りん坊かーちゃんにも、Goedのような怒りん坊坊主にも、必要だったんだよね、乗り越えることが。
あぁでも、ほんと、辛かった…。
いつまで続くんだろうと、ゴールの見えない日々だったから。

次の悩ましいプロセスはなんじゃらホイ。
一緒に成長しようね、息子よ。



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