2014年7月3日木曜日

岩手を旅して大きくなる④―大槌町を後にする時―

晴れていたら、部屋の窓から朝日がきれいに見えるという話だった。
あいにくの雨、空はどんよりと灰色。
でも大丈夫、これも覚悟しておりました。

朝、6時。
私は朝風呂へ。

露天風呂の真下に、波が打ちつける。
ずっと見てた。

ひとつとして同じ波が来ることはないから。
石原良純さんが言ってた「百波に一波は1.5倍の、千波に一波は2倍の高波が来る」を思い出しながら。
そして、目の前に広がるこの海は、2011年3月11日、信じがたい高さの津波を起こしたことを忘れることなく。
三陸の人々は、それでもここに、それでもここで、生きることを選ぶのだと思いながら。


Goedは明日の誕生日を目前にして、パパからプレゼント第一弾をもらった。
昨日SL銀河に乗ったのを記念して、SLのプラレールだ。
持参してたスーパーこまちとはやぶさの先頭車両に仲間が増えて、Goed大喜び。





朝ごはんのバイキングも、モリモリ食べる。
今日も有意義な一日を過ごすためのエネルギーを満タンにチャージ。



朝ごはんの後は、ホテル内を歩く。
お土産ショップ、外のテラス、そして、"大槌山田思いでアルバム館"。
フロントに頼んでオープンしてもらった。





そこには、こんな日が来るとは夢にも思わなかった、在りし日の大槌町と山田町の、かけがえのない姿があった。
こんな姿がここに確かにあったこと、私達、受け止めたつもりです。



三陸花ホテルさんで私達が泊まったお部屋は、海側でオーシャンビュー。
ベッドはしっかり3台。
至る所、段差のないバリアフリー客室なので、トイレも広々。
お風呂も広かったから、赤ちゃん連れの方にも最適。
洋室だけど、玄関を入るとスリッパを脱ぐようになっているので、子供も安心してどこでもゴロゴロ。






清潔で広くて明るいお部屋。
とても心地よく宿泊させて頂いた。




釜石駅までは、ホテルの車で送って頂くことになっている。
"大槌町役場"経由で。

車が来るのをロビーで待つ。
Goedにとって、優雅で広々としたロビーは恰好の遊び場。
走る走る、他のお客さんがいないので。

車がやって来た。
三陸花ホテルさん、また来ますね。
次回は波板海岸を散歩したい。



運転手さんに、コンビニに寄ってもらった。
仮設のコンビニなので、営業時間も7時から21時だそうだ。
そこで買った物は、お花とお線香。
そして、役場へ。

大地震の直後、対策本部を準備している時に津波警報がなり、約60人の職員が屋上へと非難を始めたが、40人が逃げ遅れ津波にのまれたという。

この役場を、大震災を風化させないために保存するか、解体するかが話し合われた結果、庁舎の一部を保存し、他解体することに決定し、数日前に解体が始まったと、メディアで知った。

まだ、役場の姿はあり、その前には献花台があった。
ここで、私達は、手を合わせた。

3年が経ち、町は、瓦礫の撤去はほぼ終わったように見える。
ただただ、まっさらだ。
役場周辺はたくさんの住居や店舗などがあっただろうが、なにも、なにもない。


運転手さんもこの町の被災者であり、大震災は思い出したくないことかもしれないし、私達は客とはいえ野次馬に見られてしまうかもしれないと思うと、昨日と同じで、写真を撮ることもはばかられ、質問することもできずにいた。

「知り合いに亡くなった方でもいるんですか?」
役場を後にして、運転手さんが運転を再開し始めると、私達にそう聞いてくれた。
「いえ、そうじゃないんです」
その一言でさえ、必死に答えた。

でもそれから、運転手さんは、当時の事を色々語り始めてくれた。
「大震災の二日前にも大きな地震があって、ホテルの社長が、従業員を集めて改めて避難・誘導の方法を徹底したんです。だから、当日芝居を見ていた60人の高齢のお客さん全員を、スムーズに高台に誘導できたんです。」
「でもその社長は津波にのまれて今も行方不明です。」
「偶然撮影されていたビデオの中に、ベランダから沖を眺めている社長がいて、それが最後の姿です」


行きと帰りのそれぞれの運転手さん、どんな想いで私達に伝えてくれたのか、私には計り知れない。
でも、私達にしたら、大変貴重なお話だった。

縁あって訪れた大槌町で、そこで働く方々から直接お話が聞けた。
大槌町で、復興の光となろうと立ち上がったホテルに、泊まることができた。

大槌町、また来なければ。
晴れた朝、ホテルの部屋から、海に昇る朝日を見よう。
波板海岸を、散歩しよう。








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