2013年5月7日火曜日

今を生きる

お茶の水に下り立った。
従姉の手術の付添いのためだ。

東京医科歯科大病院を目の前にした時のこと。
ふと、頭の中に蘇ってきた父との記憶や、想いがフツフツと浮かび上がってきた。

この建物の中には、身体的苦痛を、精神的苦痛を抱えた人達がたくさんいる。
痛くて痛くて、苦しくて苦しくて、楽になりたい、どうしてこうなったんだと泣いている人達が。


私の父も、患ってからどんなに痛みと闘ったことか。
顔を歪めて痛みに耐え、痩せ細り、モルヒネのせいなのか幻覚などを見るようになったり。
強くて優しくて冷静でいて熱い、そんな父のそんな姿を見るのは辛かった。

でも私は、大きなものを失ったと同時に、人間の体が生モノなんだということ、
必ず人は、自分が死ぬなり相手が死ぬなりして、別れる日が来るということを代償として学んだ。



植木屋時代のあるお客さんの奥さんが語ってくれた。

「弟は小学校の修学旅行で、行ってきますと言って出かけて、ただいまと言うことはなかった。
 ただいま、と帰ってくることは、決して当たり前のことじゃないのを知っているから、
 自分の息子3人が毎日無事に外出先から帰ってくることは奇跡のようなものだった。」と。



先日TVで夏木マリさんも言ってた。

「朝起きれないって言っている人は、一生寝てろ。自堕落な生活を楽しみたい時なんだろうけど早く気付いてほしい」
なんて、かっこいい台詞を言いのけてしまう、厳しく優しい感覚はどこから来るのかと思ってしまう。
そして、
「これが最後かもしれないと思って旦那を毎日送り出す」とも。


必ず訪れるであろう、病気や怪我で痛みと苦しみと家族への迷惑に苛まれる日々や、死ぬ日がやって来たその時に、それでも後悔がないように、今を生きていかなくちゃな。
こうしている1秒1秒は、確実に自分の死へと向かっているんだもん。
そう考えると、毎日が大事に思えて愛おしくなる。

Goedが「イヤイヤ」連発で、着替えもおむつ替えもお風呂もいちいち嫌がって、どんなに面倒くさくってイライラしても、それもこれも愛おしい日々なんだ、よね。

えーっ、思えな~いっっ!!



そんなことを、病院を目の前にして想い、
手術前の従姉と休憩室で、父との闘病生活の思い出話をし、
時々はそんな事柄を、頭の片隅に置きなおすことはいいことだと、思った。


従姉の手術は切開する手術ではないので1時間ほどで終わり、翌日には退院。
元の元気な体になりましたよと、主治医の先生からも説明あり。

実は私、この手術の間に夜ご飯を済ませておいた。


最上階16Fのオークラのレストランでね。
うん??

だって、手術予定開始時間が2時間程遅れ、オパとオマにGoedを預かってもらっているので急いで帰らなくちゃだし、食べるチャンスを逸しちゃうのよぉ。

一番安いミートソース。
これがすごく複雑なスパイスが絡み合って美味しくって。




4月半ば、複雑な味を複雑な思いで頂いた、病院での夜ご飯。
忘れないようにしよう。



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